ユニフォーム・制服の歴史を紐解く

ユニフォーム・制服の起源について

現代のビジネスシーンにおいて欠かすことができないユニフォームや制服は、歴史の中では聖徳太子の時代から存在していたと言われています。聖徳太子の時代に冠位十二階という身分制度が作られ、身分によって異なる色の服が使われていました。その後の武家社会においても、身分に応じた服装が制服として活用されたり、町火消などは皆が同じユニフォームを着る習慣もありました。明治時代に入ると学校でも制服が取り入れられるようになりましたし、洋装化に伴って、民間企業では1871年にユニフォームも洋装スタイルとなりました。

戦争においては、軍隊がユニフォームを採用していました。まったく同じスタイルのユニフォームを身につけることによって、仲間意識を強めたり、他人との区別を図ったりして、ユニフォームや制服に大きな意味や目的を持たせ、それを着る人たちの気持ちにも大きな影響を与えました。軍隊のユニフォームが、現在のビジネス社会における制服文化を進化させたと言えるでしょう。

ユニフォームや制服は、産業や着る人の職業と大きな関係があります。見た目の印象というよりは、機能性を求めたことによって、産業や職種によってユニフォームの素材や機能が多様化していったと考えられています。例えば、軍隊のユニフォームなら、強い耐久性に加えて特殊な素材が使われていますし、収納ポケットが内外にたくさんあります。メカニックやメンテナンスなど機械にかかわる人のユニフォームは、引っ掛けて事故や怪我にならないように、ワンピースタイプとなっているものが一般的です。また、調理人など衛生面での管理が必要な人のユニフォームなら、漂白剤を使った洗濯ができるよう、白い布地が使われている傾向にあります。

ユニフォームには長い歴史がある

日本国内のユニフォーム・制服のはじまりについて

日本における現在のようなユニフォームや制服の制度は、軍隊から始まったと言っても過言ではありません。歴史の中において、ユニフォームの起源となるような概念は軍隊の前から存在していました。しかし、それらは見た目で階級などが分かるような差別化をつける目的で使われていたものでした。そのため、皆が同じ制服やユニフォームを身につけることで帰属意識を持つとか仲間意識を高めるという風習は、軍隊に由来すると言えるでしょう。

軍隊においては全員が同じ一つの目的に進むことが求められており、目的を遂行するために全員が気持ちを一つにすることが必要不可欠でした。一致団結という点で、多様性は不要と考えられていたのです。軍隊でも、その軍人の階級を示す印章などは使われているものの、制服の素材やデザインはどの階級でも同じものを着用していました。また、戦時中の当時の日本は軍国主義だったため、思想統制という目的で、軍隊だけではなく、教育の現場にも制服が採用されるようになりました。教育現場における制服もまた、多様化は不要、そして一つの目的のために一丸となろうという目的で採用されていたものです。

ユニフォームや制服の概念は、戦後も継続して残っています。しかし、戦後の制服は、思想統一を図るためのツールとして用いられているわけではありません。学校や企業への帰属意識を高めるための手段の一つとして活用されています。また、時代の流れとともに、他との差別化を図る目的でファッション性が高くなり、どんどん多様化が進みました。

軍隊の制服が近代ユニフォームの起源

日本の高度経済成長期とユニフォーム・制服について

皆が同じ格好をする必要がなくなった戦後には、ファッションの多様化が求められるようになりました。1960年代にメンズファッションに大きな影響を与えたピーコック革命は、男性でもファッションで個性を表現しようという考え方が革新的だったため、革命と命名されました。華やかな色の羽を身にまとう孔雀にたとえ、ピーコック革命と名づけられたわけですが、華やかな色やデザインのファッションを身にまとうとともに、ヘアスタイルもファッション性が高いスタイルが多くなりました。

また、1970年に開催された大阪万博においては、女性コンパニオンのユニフォームがファッショナブルだとセンセーショナルな話題になりました。カラフルなワンピースのユニフォームは、テレビや映画の女優たちが着ているようなオシャレなセンスが満載のものばかりで、一世を風靡しました。その制服を目にした女性は、誰もがコンパニオンになりたいと熱望したと言ってもよいでしょう。この大阪万博をきっかけにして、女性のユニフォームや制服の多様化が一気に加速していったのです。

令和の現在でも、日本文化においては制服やユニフォームという概念は存在しています。学生なら中高生を中心に男女ともに制服が義務付けられていますし、企業でも女性社員へ制服の着用をすすめています。社会人の男性でもスーツ着用といったルールはありますが、制服のように皆が同一のスーツというわけではありません。しかし、女性の制服では皆が同一のデザインです。そう考えると、現在のユニフォームや制服は、女性を対象にしたものが多いと言えるでしょう。

ビジネスシーンにおけるユニフォームや制服は、現在では企業イメージや企業カラーをアパレルとして表現したデザインが多くなっています。清潔感があって他人に不快感を与えないデザインであることは大前提ですが、女性が着たくなるようなデザインやファッション性を積極的に取り入れる企業もたくさんあります。企業によっては社員の意見を取り入れながら定期的に制服の見直しを行っている所もあり、制服も時代と共に変化し続けています。

バブル期

バブルの頃の日本のユニフォーム・制服について

制服やユニフォームは、それぞれの企業の雰囲気やイメージを象徴するツールの一つです。その企業を反映しているだけではなく、その時代そのものを反映するデザインが多く取り入れられている点も要チェックです。

バブル期においては、右肩上がりに成長を続ける日本経済のおかげで、多くの人が華やかで明るい気分になりました。デザイナーズブランドが大流行して、シャネルやルイヴィトンのような高級ブランドのアパレルを身につける人も多くなった時代です。

そうした時代を象徴するように、当時の制服やユニフォームも華やかなデザインが取り入れられました。例えば、制服のベストやジャケットのボタンがシングルからダブルに変わったり、制服のスカート丈が長くなったり短くなったりもしました。さらには、ユニフォームのデザインに一流デザイナーを起用するなど、制服にも当時の華やかさやブランド性が加味されていったのです。また、バブル時期には女性のボディラインを強調するボディコンシャスなシルエットのワンピースが大人気となりましたが、業界によってはそうしたラインをユニフォームや制服に取り入れる企業もありました。

まとめ

ユニフォムを着た人たち

日本におけるユニフォームや制服は、私達の歴史や時代と深い関係があります。思想統一のために多様化を徹底的に拒んだ戦前のユニフォームは軍隊の制服に大きく反映されていますし、戦後に多様化が求められた時代には、ピーコック革命や大阪万博で披露された制服のように、ファッション性が高く、個性を主張できる制服が多く登場しました。その後、華やかな時代がユニフォームというアパレルにも反映されたバブル期を通り、現在のスタイルが作り出されています。ユニフォームや制服は、今後も日本の時代を反映しながら、少しずつ変化を遂げていくのかもしれません。

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